麗しのイスタンブールまとめ 人種の坩堝で世界の動きを肌で感じる

今回はイスタンブールでの時間が濃くて、今までの旅を振り返るきっかけになったので先に感想からアップします。

次回から観光やおすすめスポット紹介をする予定なので、読み飛ばしてもらって大丈夫です。

イスタンブールは「わたしたちの好きな街」上位にランクイン

コーカサス旅の最終地、イスタンブールは東西の文化や人種が混ざり合っていてとーっても楽しい街でした!エジプト、中央アジア、コーカサスを旅してからたどり着いたので様々な文化の片鱗を感じることができたのは私たちにとってはとても良い経験です。

イスタンブールについて少し紹介。

元々キリスト教国の「ビザンティン帝国」としてヨーロッパの重要都市として栄え、鉄壁の要塞を擁していたので東側のイスラーム国家やアラブ系の進行を食い止める要所になっていた。約600年前にコンスタンティノープル(今のイスタンブール)が陥落しイスラーム国家の「オスマン帝国」が誕生。オスマン帝国はインフラを整えてムスリムの人々をイスタンブールに移住させるとともにキリスト教徒や他宗教の人々も共存する国作りを行った結果、多文化都市であり東西貿易の中心都市として発展した歴史がある。

COTENラジオで勉強してから行ったので「ふむふむ、これがあの有名なアヤソフィアか!」「このぼろぼろの城壁はビザティン帝国が陥落したときに攻撃を受けた跡か!」と史実をリンクさせながら観光できました。

観光スポットが多い新市街と旧市街のあるヨーロッパエリアとカドキョイなどローカルな雰囲気が漂うアジアエリアは、どちらも違った魅力があって楽しめました。カドキョイは個人的におすすめのおしゃれな街で、心斎橋や原宿を思い起こさせるおしゃれな人が多いエリアです。

海をフェリーで渡るのも旅してる感じがあっていい!交通インフラも発達しているので自力でいろんなところに行くこともできます。

世界情勢を身近に感じる

またタイムリーに感じたことと言えば、隣国シリアのアサド政権崩落。滞在中にアサド政権崩落が起こったんですが、宿のスタッフでシリアからトルコに移住してきた青年いて「シリアの戦争が終わった!うれしいよ、やっと帰れるー!」と嬉しそうに語っていたこと。

彼は12年前にトルコに移住してきたそうで、自国に帰れないかもと思っていた時の気持ちや、12年越しに故郷に戻れるうれしさはどれほどのものなんだろうかと、わからないながらに想像しました。その翌日にはイスタンブールの中心地でシリア開放を祝う集会も行われていたそうで、シリア国旗を持った女の子やフェイスペイントをした家族とすれ違いました。みんな晴れやかでうれしさが表情にあらわれていて、こちらもうれしくなりました。

幸い今の日本は内戦や戦争で分裂することを経験しませんが、今の世界情勢を見ていると他人事ではない気がしています。やっぱり国がまとまっていて平和なことが一番だよなと心から思いました。

いろんな背景を持った人たちが暮らすイスタンブールは日本では感じないエネルギーがほとばしっているようでした。

点が線になる

そういえばウズベキスタンでトルコ出身の青年が「トルコ語と中央アジアの言語は似ているからなんとなくわかるよ」と話していたことも、その時は『こんなに離れてるのに言語が似てるとかあるん?!不思議やな~』と半信半疑でしたが、もともと遊牧民族の祖先で東(中央アジア)から西(トルコ)に進軍して行った歴史を知ると納得です。食文化も似ているし、スザニなどの工芸品をトルコやジョージアでも見かけました。

ユーラシア大陸の文化はシルクロードをたどってグラデーションのように変化しているなと肌で感じることが出来て、この3か月の旅の点と点が線でつながっていき少し感動。

旅はまだまだ続くよ

「長い時間をかけて貧乏に世界を旅することに意味なんかあるのか?」と思ったこともありますが、自分の目で見て聞いて世界を知ることは無駄じゃないと実感する日々です。高級ホテルに泊まってすべてアテンド付きの安全が保障された旅行も楽しいですが、陸路で移動して地元の人や他国の旅人と話す機会が多い貧乏旅のほうがその国の文化や人柄がじわじわゆっくりとでもわかる方が面白いですしね。

まとまりがないですがコーカサス編のまとめ終了です。

さて、イスタンブールを出て次回からは南米編へ突入!!!

なんですが、その前にイスタンブールの記事をいくつか更新します。笑

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